チェコに恋して

プラハで暮らす私の日々の記録

音楽の都プラハでピアノを趣味に

チェコの音楽家と言えば、我が祖国でおなじみのスメタナや、

新世界でおなじみのドヴォジャークが有名ですよね。

 

私の通っていた高校は毎年学園祭の一環で合唱コンクールがあり、

各クラス、多数決なりで曲を決めてクラス対抗で優勝を決める行事がありました。

 

毎年どこかの学年で一クラスは必ずモルダヴがうたわれていて、

その時はもちろんチェコに将来住むことになるなんて夢にも思っていなかったので、

チェコに留学が決まった時にスメタナ作曲だと知って驚いたのを覚えています。

 

チェコフィルの我が祖国の演奏を聴いたときは美しさに胸を打たれました。

 

今でも何度聞いても「あぁ美しい(*´Д`)」となります。

 

ブルタバ沿いを歩く際には脳内再生が勝手にされるレベルで大好きです。

 

 

私が音楽の都としてプラハを認知したのは、のだめカンタービレの映画で登場したのがきっかけでした。

 

のだめカンタービレは子供の頃にハマったドラマの一つで、このドラマのおかげでクラシックが好きになりました。

 

私は3歳からエレクトーンのグループレッスンを始めて、その一年後くらいにピアノ個人レッスンに変更したんですが、正直ピアノなんて全然好きじゃありませんでした(笑)

 

 

でも、ピアノの先生は大好きだったので、先生と半分おしゃべり、半分レッスンくらいの適当な割合ほんとにゆるーーーく進めていました。

 

きちんと進めていた子に比べると習っている年数の割に全然弾けてなかったと思います(笑)

 

 

そんな中、のだめのドラマがあったのが多分小学校の中高学年くらいの時で、これや!!こんなんが弾きたい!!って初めてピアノをちゃんと弾きたいと思えたのを覚えています。

 

 

普通ピアノ教室に通っていたら、ハノンとかツェルニーとかソナチネとか、有名な青いカバーをこなしていくんだと思いますが、私はそれら何一つすることなくクラッシックを始めました(笑)

 

別にピアニストや、ピアノの先生とかになりたかったわけでもないので、先生は私の弾きたいという気持ちを尊重してくれました。

 

でも今思えば、先生が提案してくれていたクラシックはうまい具合に指の練習になるようなものが組み込まれていたので先生の優しさが今になって感じます(:_;)

 

 

そんなこんなで、16歳までその先生のもとでピアノを続けましたが、高校生になりバイトや受験が重なり徐々に通うのが難しくなり自然とフェードアウトしました。

 

実家のピアノはアップライトで、近所は小さい子がいっぱい住んでいたので8時以降は近所迷惑になるので練習も次第にあまりしないようになりました。

 

 

弾く頻度が少なくなると新しい曲に挑戦することはなくなり、いざピアノを弾くとなっても今まで弾いてきたものをさらう程度で、辛うじてピアノを弾ける状態を保っていました。

 

 

 

そんな中チェコに移住が決まり、暇を持て余す時期があったので、ピアノをちゃんと再開することにしました。

 

 

家にあるのは電子ピアノなので、音量も調節できるし、ヘッドフォンを着ければ昼夜関係なく練習ができます。

 

 

去年は1年間で5曲は(難易度は問わず)新しい曲に挑戦する!と目標を決め、結果6曲弾けるようになりました(*´▽`*)

 

ロックダウンもあり、ステイホームで時間を持て余した結果です(笑)

 

 

ただやっぱり、小さい頃に基礎をしっかり積み上げてはいないので、譜読みは苦手だし、タッチも不安定だし、音の粒は揃う気配はありません(笑)

 

 

それでも感じるまま、思うがままに弾いて、ストレスが発散できるので、お金のかからないエコな趣味です(笑)

 

 

のだめカンタービレとの出会いに感謝ですね(*´▽`*)

 

全然成長しないのにずっとピアノに通わせてくれた両親にも感謝です(*'ω'*)

 

 

コロナが去ったらコンサートに行きたいなぁ。。(。´・ω・)

 

緊急事態宣言は延長されたし、いつになることやら。。。